冤罪検証サイト

この活動について

活動の趣旨と目的

 この活動は、冤罪によって無実であるにも関わらず罪を着せられた方が、本来の人権や尊厳を取り戻せる社会と、冤罪が起こらない社会を目指すものです。現在の日本では、逮捕時点で実名が報道され、疑いをかけられた段階ですでに有罪が確定したかのように扱われる現実があります。特に、メディアの報道や手軽になったSNSの発信等によって、逮捕=有罪、犯人という情報が拡散され、一瞬にして取り返しがつかないほどに名誉が傷つけられ、社会的な立場が奪われるケースが少なくありません。
 ※目撃者複数人がいたり、犯行時を記録した映像のような物的証拠があるような事件は、また別の判断が必要であり、このサイトでは取り扱いません。私たちが取り組みたいことは、状況証拠と本人の自白が決定的な証拠となり有罪が認定されたケースになります。

 刑事訴訟法の理念である「疑わしきは被告人の利益に」という原則は、憲法の人権尊重の観点からも、本来最も重要視されるべきですが、今の日本社会ではこの原則が無視されることは珍しくはなく、冤罪が発生する原因となっています。刑事訴訟法第336条は「犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。」と明記しており、「合理的な疑い」が残る場合、無罪を言い渡さなければならないとされています。ところが、社会的な偏見やメディアの影響により、この原則がないがしろにされているのが現状です。そして、冤罪が疑われる事件においても再審請求が開始されることは極めて異例で、救済処置として法が予定している制度でさえも、うまく機能しているとは言えません。

 このような問題にスポットをあてるため、実際の判決を多角的に分析することでその問題点を適示し、事件ごとに冤罪犠牲者が救われるための支援と、公正な司法が行われる社会づくりを実現するために、この活動が役に立てばと思っています。AI技術の活用や他の客観的データを組み合わせ、それらを裁判所の判断と照らし合わせることで、事件の再検証を進め、少しでも多くの冤罪犠牲者の声を世に届けたいと考えています。法律家は、訴訟法上のルールに不備があって敗訴し有罪判決を受けたことに対し「仕方がない」と言いますが、それによって有罪になった方を「仕方がない」と片付けることは、憲法上の人権保障を軽んじることに他ならず、許されて良いはずがありません。ですから、法的安定性よりも、人権こそが優先されるべきだと考えます。そもそも強引に捜査を進めて証拠を集め、憲法の人権保障や法の趣旨を無視し、有罪ありきの制度上のルール一辺倒で判事したことが問題でしょう。このような身勝手な法解釈は人間の行為でしかなく、一方で人権は、生まれながらにすべての人が持つ絶対不可侵の権利ですから、無罪は無罪としてその名誉は回復されなければなりません。
 また、この検証にAIを用いることは、冤罪犠牲者にとって非常に大きな意味を持ちます。たとえば、2024年6月30日にNHKが放送した「法医学者たちの告白」では、弁護側の証人となることで捜査機関から解剖の依頼がなくなるなど、「不利益」ともいえる扱いを受けたという法医学者の証言がありました。このような見せしめのような行為を恐れ、本当のことを口にできない専門家がいる可能性が示唆されたのです。
 人間には様々なしがらみがあり、その中で生きなければなりません。しかし、AIはそういったしがらみに左右されず、権力によって発言や判断を妨げられることもほとんどありません。もちろん、AIが明らかに誤った判断をしているような場合には、それは人間がチェックして「合理的な疑い」かどうかを判断すればいいでしょう。つまり、「不利益」を恐れて専門家が意見を述べられない場合、AIの意見がその補完となり、矛盾を指摘して冤罪を見抜いたり、未然にその誤審を防げる可能性があるのであれば、積極的に表に出して議論されるべきでしょう。
 今後、AIは人間を超える能力を持つとも言われていますが、もしそれが可能になるなら、鑑定人と同じ立場としてAIを位置づけ、それを裁判で活用する意義は非常に大きいと思います。本来、人間が持つ判断力や正義感で冤罪を防ぐべきですが、特にしがらみが強い日本ではそれが期待できず、冤罪を晴らせないまま放置される可能性があるのであれば、人間よりもむしろAIに頼るべき場合があると考えます。これらの理由から、私たちはこの試みに挑戦しています。

冤罪犠牲者の方へ

 このサイトをご覧になった方の中には、冤罪により理不尽な苦しみを抱えている方もおられるかもしれません。もしもあなたが冤罪の犠牲者であるならば、どうか一人で悩み続けず、ぜひ私たちと共に声をあげてください。無実であるにもかかわらず罪に問われ、正当な主張もできずに有罪判決が下される怒りや絶望、無念の思いを抱えながら過ごしている方の辛さは、同じ経験を持つ私にはよく理解できます。
 私も無実であるにもかかわらず飲酒運転の容疑で逮捕起訴され、何も主張できないままに有罪とされました。その経験から、司法機関や捜査機関が強大な権力を持ち、個人がそれに抗うことの難しさ、苦しさを身をもって知りました。そして今も、インターネット上には誹謗中法が溢れ、日本弁護士連合会の人権委員会に申立てをしましたが、彼らが取り合ってくれることはありませんでした。私は、今もこの冤罪の被害の渦中にいます。
 あなたはどうですか?あなたもきっと、弁護士や周囲の人々に訴えても信じてもらえず、声をあげることをおやめになったのではありませんか。一人で重荷を抱えて生きてきたのではないでしょうか。しかし、その辛さを一人で抱え続ける必要はありません。今こそ、私たちと共に真実を訴え、声をあげる時です。あなたは、もう独りではありません。また、冤罪犠牲者のご家族や関係者の方も、ぜひご意見をお寄せください。

冤罪に関心のある方へ

 冤罪問題に関心を持ってご覧くださった皆さま、冤罪は「他人事」ではなく、誰にでも起こり得る重大な国家権力による人権侵害です。もしあなた自身や大切な家族が無実の罪で逮捕され、罪を着せられたとしたらどうしますか。日に日に報道が過熱し、インターネット上や自身のSNS、場合によっては自宅や職場にまで電話がかかってきたり、はがきや手紙による誹謗中傷がなされたとき、何ができますか。また、誰に相談し、何をすべきか、どのように行動することができますか。多くの場合は、何もできずにただ耐え忍ぶことになります。そしてその傷は、本人はもちろん、家族や近い関係にある人々にとっても、生涯消えることはありません。
 多くの冤罪事件が発生している現状を見れば、法や社会が個人を守るわけではないことがわかります。いや、むしろ一定の世論によって真実が捻じ曲げられることも少なくありません。私たちは、AI技術や他のデータを活用して事件を公正かつ客観的に検証し、人間の持つ不完全さを指摘、補完する形で真実に迫る取り組みを行っています。捜査機関の証拠や、裁判官の判決等、事件の資料をAIをはじめとする方法で分析し比較することで、その判断が本当に法に基づいて公平公正な判断だったのか、「合理的な疑いを差し挟む余地がない」事案だったのか、実際に見て判断してください。法律家にしかできないことは、その条文をいかに適用するかという法適応であって、多くの場合、証拠や状況が果たして本当に有効だったのかどうかに専門知識は必要ないでしょう。もし、それにも司法試験を合格し、司法研修を終える必要があるのであれば(検察には副検事という身分があり、司法試験に合格しなくとも検察官として活動する特任制度がありますが)、裁判員制度の目的を「広く国民の健全な社会常識を裁判に反映させること」とする裁判員法第1条の目的が没却してしまいますよね。つまり、裁判員裁判の法的有効性自体が揺らいでしまいませんか。ですから、実際の裁判で、検察官がいかにして「犯罪の証明」をしたか、裁判官がなぜその証拠を採用し有罪という判断をしたのかを知ることは、冤罪が作られるメカニズムそのものを知ることになり、「国民の健全な社会常識を裁判に反映させ」ることで、冤罪という悲劇を防ぐ第一歩につながります。そのため、頑なに再審を認めようとしない裁判所は、なぜそのような対応をするのか。捜査機関は、なぜこの事件を事件化し、他の事件よりも長期に及ぶ取り調べをして起訴するに至ったのか。現行犯逮捕や、多くの目撃者がいた事件との違いは何かなど、冤罪を訴える人々の事件やその言葉と突き合わせることによって、どちらの主張が真実かどうか、ヒントが得られるはずです。本来は、裁判の時にこのことができればいいのですが、ここに書いたような事情によってそれができない現実は少なくありません。立法府は選挙によって国民の意思が一定程度反映されますが、最高裁判所の裁判官以外の裁判官に民意が反映されることはありませんので、こういった機会にその状況を知ることは極めて重要なことです。ですから、どのようなご支援でも構いませんので、関心をもって、ご協力をお願いいたします。

捜査機関・司法関係者の方へ

 捜査や裁判が世論に左右されることで、証拠が不十分であっても有罪とされる事例が多数見受けられます。逮捕事実が偏見を生み、場合によっては捜査機関が世論の「後押し」を受け、それによる「暴走した正義」により証拠の捏造や自白の強要、これらによる強引な立件が行われることも少なくありません。私の事件を担当した副検事は、その取り調べ時に「私は副検事ですから」と何度も口にしていましたが、その意味は大方予想がついています。
 また、先日の再審によって無罪が確定した事件においては、第一審の判事のひとりは無罪の心証を抱きつつも有罪の判決を書いたことを告白しています。こういったことが、実際に起こっているのです。このような行為は、司法機関や捜査機関、そもそもの法に対する信頼を失わせるだけでなく、真に無実の人々を傷つけ取り返しのつかない結果を生むことになります。
 司法機関や捜査機関が法の根本原則に立ち返り、公平な捜査と判断を行うことによって冤罪が生まれないよう、その本来の機能を遵守されることを、心から願っています。そして、すでに行った過ちが速やかに訂正されることを強く望みます。
 あなたがしてきたことによって、苦しんでいる人がいます。良心があるのであれば、どうか、私たちの活動に協力してください。
 一生後悔して生き続けるのですか。やられた人間は、あなたのことを、あなたがしたことを、一生忘れることはありませんよ。

覆われているもの現されないものはなく隠されているもの知られず済むものない
                              マタイによる福音書10:26

 弁護士の方で、私たちの活動に賛同いただける場合、お問い合わせフォームよりお願いいたします。私たちはすでに何度も弁護士に相談してもまともに扱ってももらえず(相談料は支払いましたが)、中には、日本弁護士連合会の人権委員会にも相談した結果、支援が受けられなかったケースもあります。その内容は、一度の面談もなく、あくまで要求された資料を送付し、そのうえで「支援不可」の通知を受けたというケースであり、ここでもまともに話しすら聞いてもらえず、正直なところ、弁護士に対しても不信感があります。そのため、お力をお貸しいただけるのであれば弁護士法第1条に則り、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」という使命感からのご連絡をお願いいたします。私たちは、もう、どの事務所に連絡すれば、どの弁護士が話を聞いてくれるのかなど、見当もつきません。もちろん、日弁連にそのような弁護士を紹介して欲しいと言っても、それは業務外ですものね。

報道機関・情報発信者の方へ

 多くは望みませんが、この活動を取り上げるのであれば、どうぞ公平な理念によって行動いただけますよう、お願いいたします。取材については、お問い合わせフォームよりお問い合わせください。

主催者の思い

 私がこの活動を始めたのは、自らも冤罪の苦しみを経験したことがきっかけです。私は無実であるにもかかわらず飲酒運転で逮捕起訴され、有罪判決を受けました。その過程で感じたのは、警察や検察、裁判所といった巨大な権力の前で、個人が正当な主張をすることがいかに難しいかという現実でした。私のは場合は、逮捕の段階で「有罪」のように扱われ、逮捕直後の「憲法上の保障の出発点」に弁護士のアドバイスを得ることもできず、捜査機関のシナリオ通りの供述をさせられ、何も知らぬままにその供述調書に署名指印をさせられ、伝聞例外などという法的ルールなど全く知らずに捜査官に言われるがままの振る舞いせざるを得ませんでした。そればかりか、起訴後に選任した弁護士には何を言っても聞いてもらえず、正当な反論もできない状況でただ減刑活動に終始する弁護士に多額の弁護士報酬を支払いました。刑事事件になど巻き込まれると思っていなかったため、何の防御方法も知らずに、警察に本当のことを言えば信じてもらえると思い、独りで警察署に向かいました。逮捕されるなど聞いておらず、不意打ちにあった私は、裁判所の接見禁止命令のなか、孤独と混乱のなかで強制力を行使されました。そして、裁判が開かれる前から、当時所属していた市議会が全会一致で辞職勧告決議を可決し、マスコミは犯人同様の報道をし、初めて接見に来た弁護士の手には、その記事が載った新聞が握られていました。初見の段階で、ばっちり心証形成されてたんですかね。その後は、何かの筋書き通りのように、有罪ありきで事が進んで行きました。※詳しくは、私の事件ファイルの中に明記します。
 このような悔しさを忘れることができずに生きてゆく中で、後に大学で冤罪について研究する機会を得、その際、私のような想いをしている冤罪被害者は少なくなく、また、支援もない中で声を上げることができずにいる人が数多くいることを知りました。機会があればこの時の研究レポートを公開しようと思いますが、この時に冤罪のケースを4つに分けました。ここではそのうちの2つを取り上げますが、この研究の研究発表会の時に、参加者から次のような指摘がありました。その2つとは、取り調べ当初から否認し、公判でも否認し無罪を主張したのにもかかわらず有罪となるケースと、取り調べ当初は否認し、その後の取り調べで自供して有罪となるケースですが、その質問者の発言の意図としては、前者こそ支援が必要であり、後者を支援したいという意味が分からないといった内容だったと記憶しています。私は、この指摘を聞いて、実務といいましょうか、日本の刑事裁判の実態を全く理解していない、一方的な意見だと感じました。しかしこの時に、多くの人がこの質問者のような考えであって、実際に逮捕勾留されることで、実際に被疑者被告人はどのような精神的変化が起こるかを開示必要が不可欠であると考えるようになりました。さらにいうなれば、後者のタイプの冤罪犠牲者は、こういった偏見に満ちた声によって真実を語る勇気が削がれ、その後も一生傷つき苦しみながら生きなければならない心理状態に陥るということを世に示す必要があると実感するようになりました。しかし、どうすれば良いのか分からない。私独りで何ができるのか、そんな想いの中で月日が流れてゆき、現在に至りました。

 日本では「人権派弁護士」という表現があるように、すべての弁護士が被告人の人権に対し強い意識をもっているわけではないようです。すべての弁護士が人権に対して強い意識を持って活動しているのであれば、一部の弁護士だけを取り上げて「人権派」などという強調した形容詞を用いる必要はないでしょう。また、弁護士の使命は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」(弁護士法第1条)にあり、弁護士倫理には「誠実義務」と「真実義務」を負うことが要求されていますが、実際にはその使命が果たされていない場合も少なくないようです。こうした実態を公表し世に示すことで、冤罪を防ぐための社会制度の改善に取り組む必要があると感じています。そもそもホームページの取り扱い業務の中に「刑事弁護」を明記しない弁護士もいますし、それに対し、24時間365日刑事事件に対応し、人、モノ、金、そして権力すべてを持ち合わせている捜査機関と比較されたのでは、弁護士とは言えその力の差は歴然です。それに、せっかく苦労して弁護士になったのに、自分は冤罪だなんてことを言ってくるめんどくさい奴に関わってトラブルに巻き込まれるのはゴメンですよね。つまり、弁護士にも弁護士の事情があるのうなので、その事情も一緒に議論すればいいのではないでしょうか。※この辺の内情は察することができますので、あえて明記しましたが、協力を仰いだり、皮肉めいたことを書いたり、なんだか申し訳ありません。私はそういう弁護士にしか会えなかったもので、ご理解ください。
 さらに、日本の裁判実務では、未だに自白が「証拠の女王」とされていますが、その自白がとられる「密室の取り調べ」においては、弁護士の同席を義務づける刑事訴訟法の改正が不可欠だと考えています。そして、現在は一部の重大事件に限定されている取り調べ時の録音・録画についても、すべての取り調べや任意の取り調べから徹底的に実施できるよう法改正を目指す、そんな活動も積極的に行っていく必要があります。すでに先進国の多くではこの取り組みは当たり前ですが、日本ではいまだに実現していません。尚、弁護士会ではすでにこの活動をしていますが、未だに実現しません。議員立法が数少ないこの国で法整備がされないとすると、どこが足かせとなっているかについては、おのずと見えてくるんですが。

 私も、SNSをはじめとした誹謗中傷に疲弊し、孤独に苦しみながら真実を語ることができない日々を過ごしてきました。そして、それらによる影響を今も痛みとして実感して生きています。未だに行く先々で名前を検索され、「前科者」というレッテルを張られています。そしてそのような私を助けてくれる人は誰もいません。愛だとか正義だとか、そういった口先だけ言葉に翻弄されることにはもううんざりです。しかし、誰かが声をあげなければ、冤罪の問題は永遠に解決しないままです。その為、私と同じように、孤独に苦しむ人の力になりたい、支えとなりたい。私自身、こんな状態のまま今後の人生を歩みたくはない、その思いでこの活動を始めました。そして、少ないながらも私を信じ、支えてくれる人がいたように、今度は私が誰かの支えとなって、活動を続けていきたいと決意しました。

声を上げる勇気と支援

 現在の日本では、冤罪被害を訴えることは非常に勇気のいることです。どうせ他人には信じてもらえず、そこでもまた傷つき、さらには、冤罪と主張することによってさらに周囲の非難や誹謗中傷を受け、家族や職場にまで影響が及ぶこともあります。また、司法機関や捜査機関に反旗を翻すことによって、何か更なる不利益を受けるかもしれません。そして、事件を担当した弁護士がいれば、その弁護士に対しても唾を吐くことにもなりかねず、あなたが声を上げることで、さらに敵が増えるのではないかと心配するかもしれません。しかし、いつまで自分の本当の気持ちを押し殺して生きるのですか。あなたを非難する人や、司法機関や捜査機関、弁護士やマスコミは、あなたの味方なんですか。あなたの真実の声を聴いてくれたのですか。これ以上、今の状況が悪くなりますか。もうすでに、地獄のような中を生きてきたのではありませんか。これからも、その道を進み続けるのですか。あなたのような想いをしている人は、あなただけではないんです。少なくとも、主催者である私はあなたの気持ちを理解することができます。ですから、その苦しみをいつまでも一人で抱え続ける必要はありません。
 それに、いままで他者が理解してくれなかったからといって、自分自身の声にまで耳をふさぐことはないんです。そのあなた自身の本当の声を受け止め、今こそ、あなた自身があなたを守る時です。自らの想いを再度認識し、行動を起こすことは、冤罪の連鎖を断つための大切な一歩です。私たちのゴールは、それぞれの事件についての再審が叶い、晴れて無罪になることです。しかし、例えそれが叶わなかったとしても、裁判で語られなかった真実を明るみに出すことは、極めて重要なことです。あなたにとっての真実が明るみに出ることが、どれだけ心が軽くなるか考えてみてください。

最後に、この活動に参加を希望される方へ

 この活動では、冤罪犠牲者の声を掲載し、判決書やその証拠等の裁判資料を比較分析し、その是非を広く社会に訴えることを目指しています。「広く国民の健全な社会常識を裁判に反映させること」(裁判員法第1条)は、法も期待していることであります。そのため。この活動に参加をご希望される冤罪犠牲者の方は、まず判決書を取得する必要があります。取得方法については、別途ご案内いたしますので、どうか恐れずに、めんどくさがらずに、真実の声をあげるその一歩を踏み出してみてください。もう、あなたは独りではありません。あなたの声が、同じように苦しむ誰かに勇気を与え、支えとなるかもしれません。 また、活動をご支援くださる方は、何ができるかを明記していただきご連絡をお願いいたします。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。徐々に内容を充実されてゆきますので、何卒、ご支援とご協力をお願いいたします。